港南区と野庭の歴史ムービー (2019野庭中学校区制50周年プロジェクションマッピング映像より抜粋)

文献の残る限り、太古の昔から武蔵国久良岐郡の一部と相模国鎌倉郡の一部という国の境目だった地域が、約150年前の明治時代に、神奈川県横浜市中区になりました。
その後昭和の太平洋戦争中に南区となり、戦後復興、景気回復が進んできた1969年 昭和44年10月1日 武蔵と相模の国境である境目を抱えた港南区が誕生。2019年には港南区制50周年を迎えました。

広い野原に鎌倉武士の練兵場であったとも考えられており、野場が由来とされます。
鎌倉から弘明寺観音まで馬でお参りに出かけた北条政子が、途中野庭の辺りで休憩し、馬を洗ったことから名づけられた馬洗川が流れ、現在の野庭中央公園には関城というお城があったとされる要衝の地域でした。

戦後復興が進んだ昭和40年代以降、都心部へのベッドタウンとして洋光台、港南台などに続いて丸山台、日限山などと共に1973年(昭和48年)野庭団地の大規模開発がスタート、公社野庭団地と市営野庭住宅を中心に現在野庭町には約1万世帯が住む町になりました。

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