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○そもそも野庭とはどんなところ?

昔から鎌倉と弘明寺への重要な道が走る地域。昔は「野場」という表記が古文書に残る。
野庭中央公園は関城という古いお城があったらしい。
相模国の端で、現在も町の境目がほぼ武蔵国との国境。
降った雨が東京湾に流れる地を武蔵国、相模湾へは相模国で、野庭町の境に分水嶺がある。

○相模国鎌倉郡上野庭村、下野庭村だった所から
1889年(明治22年)鎌倉郡永野村大字上野庭、下野庭に編入
1936年(昭和11年)10月1日横浜市中区に編入し、野庭町となる。
1943年(昭和18年)12月1日分区により南区に編入。
1969年(昭和44年)10月1日港南区へ編入。
1973年(昭和48年)市営と公社の建物を隔てない街づくりとして
計画され建設開始、1975年(昭和50年)一部完成し、順次入居開始。
横浜市住宅供給公社による計画、建築、管理 ※UR都市再生機構(旧日本住宅公団)や、
神奈川県住宅供給公社とは異なるが、連携して開発したとある。

○団地と住宅の表記の違い
通称、公社の方は野庭”団地” (横浜市住宅供給公社が管理運営)
市営住宅は野庭”住宅”と分ける

○野庭農業専用地区
野庭町南側には港南区唯一の野庭農業専用地区、その向こうは舞岡公園が広がっており、緑があふれ富士山まで一望。

○郵便番号が覚えやすい
野庭町234-0056

○統計データ
人口 男:10,633人、女11,720人、合計22,353人
世帯数 10,271世帯 (平成28年2月29日現在)
65歳以上の人口は、約26%、4人に一人以上 面積 2,097平方キロメートル
現在は港南区で町単位としては面積最大。人口も最大。

野庭の歴史についてはコチラ

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